宇宙。それは私たちにとって永遠のロマンであり、恐怖でもある未知の世界。
2001年から2004年にかけて連載された幸村誠の漫画『プラネテス』は、そんな宇宙を舞台にしながら、壮大なスケールと極めて人間的なドラマを融合させた名作です。その中で、物語の中核にあるキーワードのひとつが「第3宇宙速度」です。
この言葉にピンと来る人は、宇宙に詳しいか、あるいはこの作品に心を揺さぶられた読者のどちらかでしょう。
でも、「第3宇宙速度」とは一体なんなのか?
そしてなぜそれが、この物語のクライマックスにおいてこれほどまでに強いメッセージを持つのか?
この記事では、『プラネテス』の物語と科学、そして人間の本質に迫る「第3宇宙速度」というテーマを掘り下げていきます。
まず「第3宇宙速度」とは?
科学的な定義から話しましょう。
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第1宇宙速度:地球の重力に対抗して衛星軌道に乗るのに必要な速度(約7.9 km/s)。
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第2宇宙速度:地球の重力を振り切って地球圏を脱出するのに必要な速度(約11.2 km/s)。
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第3宇宙速度:太陽の重力圏をも脱して、人類が太陽系の外へ向かうために必要な速度(約16.7 km/s)。
この「第3宇宙速度」は、物理的な数値以上の意味を持ちます。
それは、人類が「地球という母なる存在」だけでなく、「太陽系という家」を離れ、真の意味で宇宙へ旅立つ瞬間。
つまり、それは“帰還不可能な旅”を意味するのです。
『プラネテス』が描いた「宇宙」と「人間」
『プラネテス』の主人公ハチマキ(星野八郎太)は、宇宙のデブリ(宇宙ゴミ)を回収する仕事に従事しています。物語は、そんな現実的で地味な宇宙労働者の視点から始まります。
彼が物語の中で直面するのは、壮大な宇宙の謎ではなく、自分自身の内面の揺らぎ、人との関係性、そして生きる意味です。
しかし、物語が進むにつれて、彼は“フォン・ブラウン号”という木星探査船の乗組員選考に参加します。そしてその過程で、宇宙という空間が人間の精神に与える影響や、テクノロジーと倫理、命の価値といった哲学的なテーマに直面していきます。
最終的に彼が選ぶのは、第3宇宙速度で太陽系の外へ旅立つ可能性を持つ道。
この選択は、まさに「人類の新たな一歩」と言えるでしょう。
なぜ「第3宇宙速度」が感動を呼ぶのか?
なぜこの言葉に、こんなにも多くの読者が心を揺さぶられるのか。それはこの速度が、人類の限界突破の象徴だからです。
私たち人類は、これまでずっと「帰れる場所」を前提に旅をしてきました。
月へ行ったアポロ計画も、国際宇宙ステーションも、火星探査ローバーさえも、どこかに「戻る」という意識がある。
しかし、第3宇宙速度で旅立ったその先には、「帰還」という言葉は存在しない。
それはまるで、かつての探検家が“地の果て”へ向かって船を出したように。
それは、家族、仲間、文化、あらゆるものを置いてなお、人類が未知へ進む意志の表れ。
『プラネテス』は、その一歩を踏み出す人間の「孤独」と「勇気」、そして「愛」を丁寧に描いています。
科学とフィクションの間にある真実
面白いことに、漫画というフィクションの形をとっていながら、『プラネテス』には科学的な描写も多くあります。宇宙船の設計、軌道力学、無重力での生活、心理的ストレス…どれも現実に即して描かれています。
そのリアリティがあるからこそ、「第3宇宙速度」というフィクションのテーマが、私たちの現実にまで響いてくる。
実際、今日の宇宙開発はこの物語の時代に近づきつつあります。
火星移住計画、民間の宇宙旅行、人工知能と宇宙の融合…。
人類が“次の一歩”を考える時期にきているのです。
「地球に還れる」という幻想を手放す時
『プラネテス』の終盤で、ハチマキは宇宙に向かう恐怖に囚われながらも、ある決意を固めます。
「宇宙に行くってのは、地球から離れることだ」
このセリフには、宇宙開発に対する盲目的な希望ではなく、現実的な覚悟が込められています。
「地球に還れる」と信じることで人は安心します。しかし、それは単なる幻想かもしれない。
本当に宇宙に行くということは、還らない覚悟を持つことなのです。
その覚悟の象徴こそが、「第3宇宙速度」なのです。
最後に:あなたにとっての「第3宇宙速度」は?
この言葉は、ただの宇宙科学用語ではありません。
それは、人生において何かを超えていく瞬間、過去に戻れない覚悟を決める瞬間にも通じるものです。
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新しい仕事に挑戦する時
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愛する人と人生を共にする決断をする時
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自分の限界に挑み、変化する時
そんな時、あなたもまた“第3宇宙速度”に達しているのかもしれません。
宇宙は果てしない。でも、私たちの内面もまた、宇宙のように広く、深い。
『プラネテス』は、そんな人間の心の宇宙に、静かに、そして力強く語りかけてくるのです。